日本は、バブル崩壊後の経済停滞に伴い、ローカルでは数々の社会問題に直面し、グローバルでは存在感や競争力が著しく落ち込んだ。そんな閉塞感が漂う日本に問題意識を抱き、未来を変える勇気と覚悟を持って「世界で戦う知られざる日本人たち」がいる。
彼らは、起業家や投資家である。日本人として、日本企業として、日本を代表する気概を持って、世界のプライベートマーケットの第一線で次なるイノベーションに日々挑戦している。彼ら「世界で戦う知られざる日本人たち」のストーリーやアイデアを学び、日本の起業家や投資家が世界で戦うための手掛かりを追う。
世界のイノベーションの震源地、シリコンバレー。スタートアップやテクノロジーに精通している者であれば一度は憧れる聖地である。GoogleやAppleもこの地から生まれた。そんなシリコンバレーに挑む日本人がいる。彼の名は、山田俊輔。
山田は、「Remotehour」を運営する会社の共同創業者およびCEOである。Remotehourとは、常時接続型のオンライン通話アプリだ。山田は、2020年のコロナ禍の直前の1月に、2週間で開発したRemotehourをリリースした後、3月に「Y Combinator」の元パートナーであるダニエル・グロス氏が設立したアクセラレーターの「Pioneer」に採択された。10月にはUberの初期投資家としても知られるジェイソン・カラカニス氏が運営するアクセラレーターの「LAUNCH」を卒業した。文字通り、シリコンバレーに挑む日本人起業家。そんな山田にインタビューを試みた。「Anyplace」の代表の内藤聡にご紹介いただき、2021年5月にオンラインで実施。
(画像:山田)
山田俊輔という男
山田は1992年に静岡で生まれた。幼少期は内向的ながら活発な少年だったという。山田は以下のように語った。
「小学生の時は『権力』が嫌いでしたね。いつもクラスのガキ大将とか強い人にイチャモンをつけて、喧嘩していました(笑)。イヤな奴だったと思います。みんなと集まって同じことをするよりは、一人で手を動かして何か作ったりしていました。その後もずっと作るのが好きで、自分が感動したものを自分で作る癖がありました。中学生の時はインターネットで学校の掲示板を作ったり」
作ることへの情熱は今もエンジニアとして途絶えていない。その後、上京して青山学院大学に入学。大学では図書館にこもって勉強やコンピューターに打ち込みながら、友人と翻訳事業を手掛けていた。卒業後は、孫正義への尊敬と通信事業への関心からソフトバンクに入社。しかし、1年ほど営業に従事する中で、隣に座る上司の姿と自身が理想とする将来の姿とのギャップを感じていた。そんな中で出会った岡本太郎の書籍『自分の中に毒を持て』にも影響を受け、明確なプランやビジョンがあったわけではなかったものの、上司に「起業をする」と言って会社を後にした。山田の起業家仲間で同書に影響を受けた人は少なくないという。
2015年の5月、山田は逃げるようにして、ITの最先端としてのイメージのあったアメリカのシリコンバレーに飛んだ。強い憧れを抱いていたというスティーブ・ジョブズに惹きつけられたのかもしれない。シリコンバレーでは、スタートアップのイベントに参加したり、起業家が集うシェアハウスに住みこむなどして、ネットワークやアイデアを模索した。ビザの関係で3ヶ月という短い滞在期間ではあったが、山田は「自分もこの地でやる」と決心した。山田は当時を振り返る。
「2015年はちょうどDropbox、Uber、Pinterst、Airbnbのような会社が出てきていて、『ユニコーンカンパニー』と言われ始めていた年でした。人生が一回きりの中でどこにテーマを置くかは人それぞれだと思うのですが、自分は世界中で使われる大きなプロダクトを作って見たいと思いました。『ユニコーン』は未だに自分の中で引っかかる言葉です」
山田は、すぐに学生ビザを取得して再度シリコンバレーに乗り込み、今度はライターとYouTuberとして現地の一次情報を日本に向けて発信し始めた。YouTubeの企画では合計で100人の起業家にインタビューを実施した。しかし、渡米から約半年が経った時点で資金が尽きてしまい、不本意ながら帰国した。両親にも叱られたという。その後の日本での生活は挫折が続いた。友人と起業を試みるもうまくいかず、プログラミングを独学で学びながら知り合いに頭を下げて仕事をもらう日々だった。帰国して2年の月日が経った頃、Anyplaceの代表としてアメリカの第一線で挑戦する内藤聡のブログを読んだことで、居ても経っても居られなくなり、2年間で貯めた経験値と軍資金をもってシリコンバレーに再度挑むことを決意。
Remotehourの誕生
この度のシリコンバレーでは、応募していたグリーンカードの抽選プログラムに運良く当たり、長期滞在が可能になった。かすかに山田に光が見えた瞬間だった。山田は、誰も寄り付かないような治安の悪い地域の安ホテルに滞在しながら、受託の仕事を請け負う傍ら、個人開発特有のスピード感を持ってサービスを出しては畳んでを繰り返していた。その数は驚異の50以上。失敗が続く中で山田は、Anyplaceの内藤と同じく、Ramen Heroの代表として現地で戦う先輩起業家の長谷川浩之からメンタリングを受け、内省と対話を重ねる中で最終的に「リモートワーク」というキーワードにたどり着いた。山田がエンジニアとしてリモートワークを従事する中で自らが抱える課題があったのだ。そこからわずか2週間の開発を経て、常時接続型のオンライン通話アプリ「Remotehour」が誕生した。2020年1月のことだった。山田は自身のブログで当時の開発状況を以下のように語る。
「最初の一行を書き始めたのが、今年の1月12日です。約2週間後に、LAで開催されるProduct Huntの5周年パーティーに参加する予定があったので、どうせならそれまでに完成させよう、Rayan Hooverにピッチしよう、と寝る間も惜しまず書き続きました。こんなにプログラミングが楽しいものだと思えたのは初めてだったし、周りから見れば、きっとテニスボールを追いかける犬のようだったでしょう」
(画像:左から共同創業者の五所、山田)
Remotehourは、奇しくもコロナ禍のタイミングと重なったこともあり、「リモートワーク」という観点で注目された。同年3月に「Y Combinator」の元パートナーであるダニエル・グロス氏が設立したアクセラレーターの「Pioneer」に採択され、10月にはUberの初期投資家としても知られるジェイソン・カラカニス氏が運営するアクセラレーターの「LAUNCH」を卒業した。アメリカで2つの著名なアクセラレーターを卒業することは日本人としてはなかなかの異例だ。その後、現地の投資家から資金調達を実施し、現在までにシリコンバレーから世界に挑み続けている。そんな山田に現地の実情を聞いた。
アメリカの実情
アメリカでは、現地の人脈や知識が乏しい上に、ビザや英語など、起業以前の段階で乗り越えなければいけない壁が多い。山田は自らの英語力の現状を小学生同等あるいはそれ以下だと言う。あらゆる壁を乗り越えて肝心の起業に辿り着いても、より高い壁が待ち構える。日本とアメリカでは起業の前提が異なると山田は言う。日本では、比較的に単一の民族が集う東京の人々に向けて、アメリカのプロダクトをコピーして展開することができる一方で、アメリカでは、問題解決より問題発見が問われ、世界の多様な人々に向けて「ゼロイチ」で新しいプロダクトを生み出す必要がある。
現在進行系でゼロイチに挑む山田も「毎日が苦労です」と言う。自身の弱みを「趣味や息抜きがない」と表現するほど、ネットワーキングも一切せず、休日返上でひたすら開発と数字に向き合う日々を山田は送っている。没頭しすぎてバーンアウトする、いわゆる「燃え尽き症候群」に数ヶ月単位で定期的に陥るほどだ。ファイナンスに関しても山田は、日米のVCとエンジェル投資家から計300Kドル(約3000万円)の資金調達を現在までに実施しているが、アメリカで見ず知らずのバックグランドのない日本人として、投資家に「どのようにして知ってもらうか」「どのようにして信じてもらうか」に苦労をしたという。自身のnoteで以下のように語る。
「グローバルを軸にビジネスを展開していくのであれば、アメリカのVCから出資を受けたい。何とかして、受けられないものかと、西から東まで、ジャンルを問わず、ひたすらコールドメールを送り始めました。計200通以上はメールを送ってみたのですが、Pioneerブランドが活きたこともあってか、実際にミーティングの機会をもらえたり、返事はちゃんと返ってきたりするものでした。有名どころと、Hustle Fundや、Remote First Capitalと話したりしました。Hustle Fundは、サイトからアプライし、その後、代表のElizabeth Yin氏と何回かメールでのやり取りを行ない、プロダクト自体には興味を持ってもらえたのですが、最終的には『やはり、まだ出資するには早い。市場が見えづらい。』と音声メッセージで断られてしまいました。Pioneerに入る前からやり取りが始まっていた、Remote First CapitalのAndreas Klinger氏とは、友人のFlipmass Stephenの紹介で繋がりました。彼には、定期的に進捗データや、資金調達に関する相談にも乗ってもらっていたため望みはあるとは思っていたのですが。『RemotehourはYeaではあるけど、Hell Yeaではない。』とあっさり返されてしまいました」
アメリカという異国の地において、日本人の起業家は生活・事業ともにあらゆるディスアドバンテージを抱えるが、意外にも、山田は「日本人はチャンスです」と言い切る。
「日本というブランドが使える日本人はチャンスです。アメリカでは日本人であることがアイデンティティになります。もちろんアメリカ人には使えません」
日本人としてのスタートアップの目立った実績や活躍がないことも、不利どころか、むしろプラスになっているという。現地で中国人の起業家が溢れる一方で、日本人のそれは珍しく、目立って「レアキャラ」扱いされる。同様に、真面目、努力家、裏切らないといった日本人のイメージや、トヨタ、日立、ソニーといった日本企業のブランドも相まって、日本という国や人に対する信頼や尊敬が強い。山田は実際にビジネスの場面でも、ユーザーと話す際に「I'm Japanese」と言ったり、メールの冒頭に「Konichiwa」と入れたりと、日本人のアイデンティティを自身のリソースとして積極的に活用している。山田のRemotehourに投資をした著名投資家のジェイソン・カラカニスも日本人や日本食が好きだという。
しかし、追い風が吹くといっても、起業家として本気で世界で挑戦するからには、目的を達成しなければ意味はない。山田は「私はプロダクトよりインパンクトを生みたいです」と言う。
(画像:山田。サンフランシスコにて)
プロダクトよりインパクト
山田は、Remotehourに行き着くまでに個人開発者として大量のプロダクトを作り続けてきたが、自らを「個人開発者」ではなく「起業家」と称する。個人開発者は目的が自分に向き、自分のやりたいことをやって自分の収入を挙げる一方で、起業家は目的が社会に向き、ミッションを持って社会の課題を解決する傾向にあると山田は言う。かく言う山田も、起業家として、人の時間を奪うのではなく生むようなサービスを作り、人々のプロダクティビティ(生産性)とクリエイティブティ(創造性)がより一層高まる世界の実現を目指している。
山田は2020年、自身のnoteで以下のように語っていた。
「アメリカ二度目の滞在、元共同創業者とルームシェアしてた頃、『マークザッカーバーグとか、ラリーペイジが見てる世界って、絶対俺らと違うよな。どう見えてるんだろう。』と話したのを覚えています。振り返ると、会社を辞め、何も分からず、アメリカに出た頃とは、少し違ったように今は世界が見えています。一方で、私は起業家として、まだ至らぬ点も多々あるかと思います。それでも、このプロダクトを通して、世界中の人たちがもっとシームレスに働けるよう、命、人生をかけて取り組んでいくつもりです。分かりやすく言えば、MicrosoftやDropboxのようなソフトウェアを作ってみせます」
2週間で開発した事業で世界に挑む日本人起業家、山田俊輔。数度の渡米と無数の失敗を重ねながらも挑戦を続けた今、たしかにシリコンバレーから世界に向かい始めている。個人開発者と日本人というバックグランドを背負う山田が、日本と世界の新たなロールモデルになる日は近いかもしれない。