コロム・ミュージックエンタテインメント株式会社(以下、コロム)は、マイクロライブ空間アプリ「corom(コロム)」を開発・運営する企業だ。チケットの平均価格が6,500円と、「日本一チケット代が高いオンラインライブアプリ」でありながら、リピート率88%を誇るなど、音楽業界に新たな旋風を巻き起こしている。
本インタビューでは、元プロボクシング選手という異色の経歴を持つ、コロム・ミュージックエンタテインメント株式会社のCEO・佐治浩一郎氏が日本最大のインディペンデントレーベルを目指すまでの経緯を彼の生い立ちから紐解くとともに、「マイクロライブ」という新しいライブ形式や野心溢れる今後の展望について伺った。インタビュアーは、株式会社PROTOCOLの代表・武内が務める。
元プロボクシング選手という異色の経歴を持ちながら、「日本一チケット代が高いオンラインライブアプリ」と呼ばれるまでにビジネスを成功へと導いた佐治浩一郎氏。佐治氏の生い立ちから創業背景、将来のビジョンまで全てを語ってもらった
武内:まず、佐治さんご自身の生い立ちについて教えていただけますか?
佐治:出身は、東京都新宿区です。9歳まで西新宿で育ちました。両親の離婚を機に、小学校2年生の時に板橋区へ移り住み、成人過ぎまで東京で過ごしています。
武内:幼少期にはクラブ活動など何かされていましたか?
佐治:小学校3年生から卒業までは野球をしていましたが、中学校1年生の冬からはボクシングを始めました。
武内:プロボクサーになったと認識しておりますが、ボクシングへの興味は、どのようにして芽生えたのでしょうか?
佐治:きっかけは、当時放送されていた「ガチンコ!」というテレビ番組の人気コーナー「ガチンコファイトクラブ」です。その舞台となったボクシングジムが地元にあり、見学に行ったことがターニングポイントとなりました。
※「ガチンコ!」は、TBS系列で1999年4月13日から2003年7月29日まで放送されたバラエティ番組で、「ガチンコファイトクラブ」は、その中で放送されていた、ボクシングを通じて若者たちを更生させるコーナーである。
武内:実際にボクシングジムまで足を運び、ボクシングを始めようと思った理由を詳しく教えてください。
佐治:自分には個人競技が合っていると感じたためです。自身の趣味や好みの音楽が同級生とは違い、学校に馴染めていない部分がありました。そんな時、ボクシングジムに通う20代の先輩方がとても楽しそうに見えたのです。彼らは、電気屋で働きながらボクシングに打ち込むなど、中学生だった自分には想像できない自由な生き方をしていて、その姿に大きな影響を受けました。そこで、大人がいるコミュニティに自分も馴染めるのでは、と思ったのがきっかけです。
武内:その「自由で、縛られたくない」という思いが、学生時代の探求心に繋がっていたのですね。
佐治:そうですね。小中学校時代は同級生から「孤高の存在」として、少し距離を置かれていたように感じます。すべてのことに対して疑問や違和感を抱いていた、まさに転換期だったと思います。
プロボクサーを目指し、アイデンティティーの確立
武内:そこからご自身のアイデンティティを確立したのは、どのような経緯があったのでしょうか?
佐治:自分の道を進んでいた学生時代の中でも、特に高校時代に自分を確立したと断言できます。
武内:具体的なエピソードをお聞きしてもよろしいですか?
佐治:17歳の頃、彼女を癌で失ったことが人生の分岐点でした。当時、彼女は「あなたがプロになるところを見たい」と常に応援してくれていました。しかし、夢を叶える前に彼女が亡くなってしまい、そのことを深く後悔したのです。17歳から19歳までの3年間、ボクシングに全力を注ぎ、彼女との約束を果たすためにプロを目指しました。
武内:17歳というと、遊びたい年頃ですが、そんな中でプロを目指して努力を続けたんですね。
佐治:彼女との約束を果たすため、周囲がカラオケなどで遊んでいる中でも、ひたすら練習に打ち込みました。しかし、1回目のプロテストには不合格でした。それに追い討ちをかけるように怪我をしてしまい、技術が目に見えて低下してしまったのです。
2回目のプロテストにも挑戦しましたが、再び不合格になったときに、心が折れてしまいました。そして、母に「ボクシングを辞めたい」と伝えたのです。しかし、彼女との関係も含めて全てを知っていた母が、「ボクシングで失ったものは、ボクシングでしか取り戻せない」と母なりの言葉を掛けてくれました。それが、再び奮起する起爆剤となったと考えます。
最愛の女性の死が自身の人生を大きく変える
武内:プロを目指してひたむきに努力した経験が、今のインディペンデントアーティストのコンサルティングにも影響を与えているのですね。
佐治:3回目のプロテストでようやく合格した時、全てが輝いて見えました。当時は大学に行くという選択肢は自分にはなく、人生をかけてプロの世界に挑んでいたのです。全身全霊を傾けて努力したことで、いわゆる「ゾーン」に入っていたんだと思います。その後の15年間、あれほど心を燃やした経験は他にありません。
武内:ついにプロボクサーとなり、彼女との約束を果たしたことで、そうした達成感があったんですね。
佐治:ボクサーの慣習で自分のトランクスを用意するのですが、プロデビュー戦では、そのトランクスに彼女の名前を刺繍して試合に挑みました。彼女の両親も応援に来てくれて、目標を達成したという実感が強く湧いた瞬間でした。
武内:その後、なぜプロボクサーとしての道を歩まなかったのでしょうか?
佐治:当時、唯一の理解者であった彼女との約束を果たすことだけが自分の生きる理由でした。自分との戦いに勝ち切ったと感じ、19歳で引退を決めたのです。
葛藤期。感情を高ぶらされる経験を求め模索する日々
武内:ボクシング界を引退してから現在の会社を経営するまでには、どのようないきさつがあったのでしょうか?
佐治:引退後の2年間はフリーターをしていました。光通信でアルバイトとしてテレアポの仕事に就き、ソフトバンクのモニタープランの販売に尽力しました。
その後、21歳で光通信の子会社に再就職し、介護向けの営業を経験しました。5ヶ月で昇進し、23歳の時にはインバウンド営業に抜擢されました。これは、2011年の東日本大震災を受けて中国向けのインバウンドビジネスを立ち上げるためのものでした。この仕事で初めて福岡に転勤し、新しい部署を立ち上げ、2年間従事しました。しかし、営業のノウハウを習得したことで退職を決意し、その時、福岡での就職か起業かで大いに悩みました。
武内:まさに変革の時期。そして、最終的には起業の道を選んだのですね。
佐治:はい。右も左も分からない状態で起業しました。実は、登記に25万円かかることさえ知らなかったほどです。そこで治験のアルバイトに応募し、20日間入院して30万円を稼ぎました。また、前職の同僚から500万円を借りて、何とか起業にこぎつけたんです。
武内:起業後は具体的にどのような事業をされていたのですか?
佐治:布団などを販売する営業代行の事業を立ち上げました。当時、福岡エリアは通販ビジネスのブルーオーシャンだったんです。1年目はあまり利益が出ませんでしたが、2年目には月に200万円の利益を1人で上げるようになりました。ただ、その頃は仕事に楽しさを見出せず、迷走していた時期でもありました。
武内:外から見れば大成功に思えますが、どんな葛藤があったのでしょうか?
佐治:ボクシング時代のように「ゾーン」に入るような体験や、心から燃えるような高い目標がなかったんです。また、代理店ビジネスだったため、上からの指示に従うだけの仕事が多く、何か満たされない思いがありました。お金を稼ぐことを人生の目標にしていないことに気付いたのです。
武内:お金を稼ぐこと以上に、心を動かされるような目標や情熱を求めていたのですね。
佐治:そうですね。2017年に結婚したこともあり、将来生まれるかもしれない子供のことを考えて、もう一度魂を燃やせる目標に向かって頑張ろうと決心しました。
武内:そこからどのような行動を起こし、新しいビジネスを立ち上げたのでしょうか?
佐治:まず、自分がスムーズにビジネスを運営できる領域から始めようと思い、自社サービスとしてデザイナーマッチングサイトを立ち上げました。週2日からのマッチングという新しい形態で、半年で月100万円以上の利益を出すことができました。
武内:やはり、佐治さんは誰も挑戦したことのない領域を見つけ、成功に導くセンスをお持ちですね。その後、このビジネスはどのように進展したのでしょうか?
佐治:実は、利益が100万円を超えた時点で、ビジネスの仕組みを完全に理解したと感じました。しかし、その時点で仕事に対する情熱を失いかけていたのです。これではいけないと思い、新たなビジネスを探す決断をしました。
心動かされる目標や情熱を求め、スタートアップの世界へ
佐治:そして2019年、スタートアップの世界に挑戦しようと思い立ちました。これまでの事業に加え、デザイナーだけでなくエンジニアも含めた新規事業開発チームを企業に派遣するサービスを立ち上げ、資金調達にも成功しました。しかし、資金は確保できたものの、事業はうまく進展しませんでした。
武内:デザイナーだけでなくエンジニアも含めた新規事業開発チームを派遣するという画期的なビジネスですが、うまくいかなかったというのは何か原因があったのでしょうか?
佐治:当時の自分は、エンジニアのマネジメントに対する知識不足が大きな問題だったと反省しています。採用はできるものの、彼らを適切に管理することができず、結果的に組織が崩壊してしまったんです。その状況は本当に最悪で、精神的にも追い詰められ、自分の会社であるにもかかわらず「辞めたい」という気持ちが大きくなってしまいました。そんな中、2020年初頭に新型コロナウイルスが流行し始めたのです。
武内:精神的にも大変だった中で、コロナ禍は多くの企業にとっても厳しい試練でした。佐治さんは、その中でどのようにしてこの困難を乗り切ったのでしょうか?
佐治:自分にとっては、コロナ禍が転機となりました。すぐに業務形態をフルリモートに切り替え、オフィス出社を廃止し、コロナ融資を活用して資金を確保しました。また、辞めたい社員には退職を認め、事業を縮小する一方で、新たにオフィス空間のサービス事業を立ち上げました。
ただ、自身の営業力を活かしてToB向けに販売するという営業力を活かしたビジネスより、新しい領域である個人のエンパワーメントのビジネスに強い関心を持っていました。
魂を燃やすほど熱くなれる事業
武内:コロナ禍を逆手に取って挑戦し続ける姿勢が、まさにピンチをチャンスに変える力ですね。その経験が、現在のビジネスにも繋がっているのでしょうか?
佐治:2022年に資金調達を試みましたが、40社もの企業から断られるという経験が、大きな転機となりました。事業が行き詰まったとき、唯一残したいと思ったのが音楽だったのです。
※「千葉道場」は、エンジェル投資家の千葉功太郎氏が設立した、日本有数の起業家コミュニティで、起業家同士が経営の課題や悩みを共有し、助け合う場として活動している。
武内:プロボクサーとしてのキャリアを持つ佐治さんが、なぜ音楽を仕事にしたいと思ったのでしょうか?
佐治:もともと音楽が好きだったことに加え、コロナ禍で多くの活動が制限されたことで「もっと自由に生きたい」と強く感じました。それがきっかけでボイストレーニングを始め、プレーヤーとして曲も出しています。もし40社から断られていなかったら、音楽業界に足を踏み入れることはなかったかもしれません。振り返ってみると、結果的には良かったと実感しています。この時、組織をスリム化し、エンジェル投資に切り替えることで、再起を決意しました。まさに、自分の情熱をかけられるものを模索していた「探索期」だったと言えます。
恩人・小林雅氏との出会い
武内:この「探索期」を経て、現在の事業の形に近づいたのでしょうか?
佐治:2023年にICCパートナーズ株式会社が運営するICCサミット(以下、ICC)に参加しました。当時、ICCの代表取締役である小林雅氏(以下、小林氏)から「君のビジネスは面白い」と言っていただけたことで、本来の自分を取り戻すきっかけになりました。
※コミュニティ型カンファレンス:Industry Co-Creation(通称:ICC)サミット
小林氏の自分に対するストイックな姿勢を見て、私も同じように仕事に真剣に向き合おうと決意しました。同時に、自分のロールモデルを見つけた瞬間でもありました。
武内:そのICCでの経験が、ご自身を大きく変えたということですが、どのような出来事があったのでしょうか?
佐治:まさに「死中求活」という心境でピッチの練習を重ねました。その結果、GMV(流通取引総額)3万円のビジネスで「スタートアップ・カタパルト」で4位を受賞できました。
※「スタートアップ・カタパルト」は、経営者や投資家、プロフェッショナルなどの審査員に対してスタートアップがプレゼンテーションを行う、ICCサミットが主催するプログラムである。
もともとプレゼンテーションは苦手でしたが、精神的に追い詰められていた時期には、営業すらできなくなるほどのスランプに陥り、嗚咽が出てしまうこともありました。しかし、練習を重ねたことで、今ではピッチが得意だと胸を張って言えるようになりました。これもICCの経験のおかげです。
第二のゾーンと心技体が一致した事業
佐治:全くの無名で、自信が持てなかった時期、ICCで4位を受賞したことが自信に繋がりました。それに向けた努力はもちろんですが、ICCという場が自分の力を最大限に引き出してくれたのです。まさに「第2のゾーン」を迎えていたと思います。自分が成長したことで、改めて音楽が好きだと心の底から実感でき、これこそが「心技体」が一致した事業を見つけた瞬間でした。
武内:第2のゾーンを迎えられたとのことですが、ご自身がプレイヤーではなく、他者をエンパワーメントする形で音楽に人生を捧げようと思った理由を教えてください。
佐治:2つ理由があります。1つ目は、音楽業界自体が旧態依然としており、そこにビジネスチャンスを感じたこと。2つ目は、「稼げなかった人」を稼げるようにマネジメントするのが楽しいからです。現在、ストリーミングの普及によって、ミュージシャンの収入源であったCDがほとんど売れなくなっています。さらに、リアルライブは集客が難しく、ノルマも厳しいため、音楽一本で生活することが非常に困難な現状です。また、音楽業界では「メジャーデビューの限界は25歳」と言われていますが、弊社では35歳以上のアーティストもマネジメントしており、彼らがオンラインライブアプリを通じて収入を得ることができるようになっています。この点で、私たちのサービスはこれまでにない革新をもたらしていると自負しています。
武内:現在、「日本一チケット代が高いオンラインライブアプリ」として知られるサービスですが、波に乗ったと実感した瞬間はいつだったのでしょうか?ビジネスの観点から教えてください。
佐治:弊社登録のアマチュアアーティストが、特典なしで1万円を超えるオンラインライブチケットを販売し、それが完売した瞬間に大きなチャンスを感じました。また、従来は「ライブは現地で観るもの」という考え方が主流で、実際に95%以上の人がライブハウスに足を運んでいないというデータもあります。そんな中で、私たちのサービスが国内初の成功例となったことで、「全てを賭ける価値がある」と強く確信しました。現在、弊社のマイクロライブ空間アプリ・coromはリピート率88%を誇っており、これは大ヒットしているソーシャルゲームよりも高い数値です。
独立系アーティストの経済的な自立を支援。アーティストが自身の音楽を発信し、収益化を実現できる新しいプラットフォームを形成。
武内:リピート率驚異の88%とは素晴らしいですね。御社のアーティストの方は、どのようにして収益化できるのでしょうか?
佐治:弊社には、アーティストを成功させるためのノウハウとシステムが整っています。実際、当初は登録アーティストの95%が40時間で5万円以下の収益にとどまっていましたが、平均収益を10万円まで引き上げることに成功しました。中には、1時間で5万円の収益を上げるアーティストも少なくありません。私自身もプレイヤーとして活動していた経験があり、時には現場に出てアーティストと直接面談することもあります。
武内:御社のプラットフォームが競合他社と異なり、成功している、収益化に繋がった理由は何でしょうか?
佐治:一番の鍵は、いわゆる「売れていない人」にコアなファンを作ることにあります。coromでは、視聴者がアーティストとの深い絆を感じられるライブ空間を提供しており、質の高いサービスにこだわっています。視聴者は、ミュージシャンと同じ空間にいるような感覚を体験できます。具体的には、ライブ空間内で視聴者一人ひとりがアイコンとして登場し、拍手をリアルタイムでミュージシャンに届けたり、直接会話を楽しむことが可能です。一般的なライブ配信とは異なり、視聴者とのインタラクションが深く、没入感のある新感覚のライブ体験を提供しています。さらに、潜在市場の大きい音楽ライブに「マイクロライブ」という新しい価値を提供することで、初めて参加した観客をリピーターに変えることができています。
武内:このようなノウハウとシステムが整っている環境で、アーティストを志す人も多いでしょう。全ての希望者がcoromでアーティストとして登録できるのでしょうか?
佐治:高品質なライブ体験を提供するため、弊社では簡単な面談を含む審査を設けています。オリジナル曲を持っていることが前提条件ですが、迅速な対応ができ、社会的マナーを守れる方を対象としています。年齢に制限は設けておらず、特に女性の場合、平均年齢40歳を超える方々も多く活躍しています。さらに、アーティストが成長できるよう手厚いサポート体制も整えています。
死んでもいいほど熱中する事業の今後の展望
武内:今後の事業展開について教えてください。
独立系アーティストに特化した、日本最大のレーベルを作ることを目指しています。具体的には、1億回再生=ミリオン再生を達成する楽曲を10曲以上生み出し、時価総額650億円を誇るエイベックスに匹敵するレーベルになることが目標です。
そのために、アプリの強化を進め、500人規模のワンマンライブを目指すプロ志望のアーティストを集めたいと考えています。また、オンラインの枠を超えて、リアルイベントの開催にも力を入れており、準備を進めています。
武内:オンラインライブアプリの運営と並行して、どのような「リアルイベント」を目指しているのでしょうか?また、レーベルとして登録するアーティスト数の目標はありますか?
佐治:2026年には、ZEPP新宿を貸し切り、弊社登録アーティストの上位7組が出演するリアルイベントを企画しています。目標は、各アーティストが100人以上の観客を動員することです。私自身、プロボクサー時代にチケットを100名分手売りした経験があるため、アーティストたちもその姿勢に共感し、同じ視点で活動してくれています。2024年9月時点で、すでに100人以上のアーティストとして登録しており、来年には500人に達する見込みです。1度のライブで80万〜100万円(お盆時期には60万〜100万円)の収益を上げています。今後も、アーティストが自身の音楽を発信し、収益化できるプラットフォームをさらに発展させていきたいと考えています。
投資家の方々へ向けて
武内:最後に投資家の方々へ向け、メッセージをお願いします。
佐治:私たちは、日本最大のレーベルを作るという夢のある事業に参加してくれる仲間を求めています。これは単なる「夢物語」ではなく、成功に向けた明確な道筋があります。
改めて、弊社の強みを大きく3点ご紹介させていただきます。
全コンテンツ完全無料:独立系アーティストの経済的自立を手厚く支援しています。
アーティストをお客様として扱わない:音楽業界ではアーティストが客として扱われることが一般的ですが、私たちはアーティストをクライアントとして尊重する姿勢を持っています。
川上から川下まで育てる仕組み:私たち自身でアーティストを育てる体系を構築しています。
旧体制の音楽業界では、1曲77万円のサポートを謳いアーティストにローンを組ませるなど、夢に罠かけて搾取す情弱ビジネスが横行しています。しかし、弊社のように全コンテンツを完全無料で提供するシステムは日本初と言えます。また、レーベル側が主導権を握り、アーティストが客ではないというスタンスを維持することで、月1回以上のライブ等の活動を求めることでアーティストの成長を促し、協奏パートナーとしての役割を果たしています。さらに、平均年齢40歳以上のアーティストを多く抱える中で、オリジナルグッズの制作を通じて、視聴者だけでなくアーティストのスイッチングを抑制しています。各アーティストの特性を活かしたプロデュースを行い、コアなファンを獲得し、利益を上げるというサイクルを体系化しています。これにより、誰一人として音楽を辞めることなく、アーティストが奏でる夢で世界中の人々の心を満たすことを目指しています。
私たちは、アーティストを新たな次元へと導く存在として、新しい音楽の時代へ向けて共に素晴らしい旅をしましょう。