今回インタビューしたのは・・・
取締役COO
関口哲平
東京大学農学部で学士取得後、同大学大学院の農学国際専攻に進学。2012年に修士課程を修了後、P&Gにてファブリーズやジョイといった一般消費財の生産管理を担当。7年間勤務後、2019年にBionicMに参画。現在、取締役COOとして製品開発以外の業務を網羅している立役者。
目次
”モノを使って人々の生活に貢献したい”という想いからP&Gへ
―― 新卒で入社されたのは、マーケティングで有名なP&Gですよね。
はい、私はP&Gでは生産管理部門を担当していました。工場で生産や全体の原料調達、卸業者や販売店舗に届けるまでの一連のサプライチェーンを統括していました。日本だけでなく世界中の工場に赴き、生産効率を向上させたり、生産ラインを増設させたり、新しい工場の立ち上げにも参画していました。工場の生産ラインで一緒に働く方が父親と同じくらいの年齢で、私が赴任したとき「若造がやってきた」といった雰囲気で、信用を得るまでに時間はかかりました。(笑)
消費財、特にP&Gのレベルだと、1分に何百本と商品が作られます。そこで作られた製品は世界中の家庭に届きます。しかし、規模が規模なので、ちょっとしたミスが数億円の損害とか会社の信用問題に繋がるんですよね。例えば実際に、出来上がった製品の色や匂いが微妙に違っていれば早急に原因を見つけて対処しなければなりません。
また、機械トラブルで生産ラインが止まったら夜中や休みの日でも対応しないといけないこともありました。なので、工場の現場では、マーケティングや製品コンセプト以前に、”品質を担保した商品を作ること”という非常に本質的なことが重要でした。
インタビューを受ける関口さん
―― スーパーに行けば当たり前のように商品が並んでいますが、工場で働く方々の見えない努力があるのですね…。新卒でP&Gを選ばれた理由はどういった点だったのでしょうか?
小学生の頃から、”モノを使って、人々の生活に貢献したい”という想いがありました。
忘れもしない出来事があって、ある日小学校にJICAや国連の方が、途上国の実情を教えにきてくれるという特別授業がありました。その授業で、「途上国の子どもは毎日10キロの水を運ぶんだよ」と言って、10キロの水を持たせてもらったんです。
実際に持ってみると、想像を超えて重く、持つのが大変で、「こんなにも大変なことが毎日知らない世の中で起きているのか」と衝撃を受けました。その経験がずっと記憶に残っており、大学では開発経済学や社会学などを中心に学んでいました。
しかしながら、私の実感として課題に対してインパクトを与えている感覚を得れませんでした。10キロの水を気軽に運べるような世の中になっているかというと、そんな気はしなかった。もちろんマクロなレベルでのインパクトはあると思うのですが、問題に直結していると感じることができませんでした。
そこで、「途上国の農業や農業経済という切り口からアプローチすれば、よりダイレクトに課題解決ができるのでは?」と考え、大学3年の進路選択で農学部へ理転しました。そして、途上国で普及する農業技術でもあるバイオディーゼル(※生物由来の油から作られるディーゼルエンジン用の燃料)の研究を行うことになりました。
当時、バイオディーゼルは環境への影響ばかりが注目され、その主原料を生産する農家への経済的・社会的な影響は考慮されていないことが問題となっていました。そこで、環境だけでなく、生産農家の経済性・社会性のメリットもあるバイオディーゼル燃料を作れないかと考えました。
そして実際に、フィールド調査を行うためインドネシアに行きました。調査現場で、何が起こっているのかを直接みて、どうアプローチできるかを考え、実際に試していく。これが本当に楽しかった。「モノを使って人々の生活に貢献できてる!」と確かな手触り感を覚えたんです。現場の重要性を実感を感じ、「現場が好きだ」と感じた瞬間でした。
より大きな課題に対して貢献していきたい。しかしながら、研究職は向いていないと思っていました。どんな人でも汎用的に使う一般消費財を作る会社であれば、達成できるのではと思い、P&Gへ入社しました。学生時代の経験より、現場が好きな気持ちがあったので、「工場に行かせてください」と希望を出して、生産管理部門の中で工場への所属となりました。
孫代表との出会いに掻き立てられた想い
―― 今の話を聞くと一般消費財最大手のP&Gで、モノを使って人々の生活に貢献できていたのではないかと思いました。
P&Gは凄く良い会社で、全く不満はありませんでした。しかし、働いているうちに扱う商材へ物足りなさを感じはじめてしまいました。というのも、取扱う商材の市場が成熟しているので、商品の市場が飽和しているんですね。例えば、ジョイが新製品を出して何が起きるかというと、今まで食器用洗剤を使っていなかった人が買うようになるという話ではなくて、今まで他社製品を使っていた人が、ジョイに変わるレベルなんです。
逆に、他社が新製品を出してきたら、ジョイを使っていた人が他社製品に変わるという具合です。もちろん新規ユーザーを獲得したり、新しいシーンでの使用ということもありますが、主にすでにあるパイの中でシェアを奪い合い続けるという構図に違和感を覚えていました。製品として、油汚れが落ちやすいとか、泡切れが良いとかの技術進歩はあるのですが、もはやどの商品も一定のクオリティが担保されています。この違和感というか、物足りない感覚から、転職を考え始めました。
―― 確かに一般消費財は既に人々の生活に浸透しているので、大きな変化というのは感じにくいのかもしれません。BionicMとの出会いはどういう経緯だったのですか?
2016年にUTEC(※東京大学エッジキャピタル:東大発ベンチャーを育てることに取り組んでいるベンチャーキャピタルで、現在BionicMにも出資している)が実施した、ベンチャー企業(創業前の案件を含む)と、そのベンチャービジネスに興味のある社会人・学生をマッチングさせる目的のビジネスコンテストがきっかけでした。応募者は合格すると、全部で8つあるベンチャー企業のどれか1つに割り振られ、約1ヶ月かけ、実際の事業計画を一緒に創るというものでした。そこに孫さん(現BionicM代表)のBionicM創業前の義足プロジェクトが参加していました。
開始にあたり事前に実施された説明会で初めて孫さんの話を聞いたのですが、今でも心が震えたのを覚えています。というのも、義足ユーザーにとって、義足は毎日使うもの。しかしながら、未だに階段を1段ずつしか上がれないとか、膝が折れることを心配して歩いているとか、早歩きはできないとか…全然技術が進んでない。
まさに”人々の生活に貢献するモノ”のであるのにも関わらず、「何もかもが便利になった21世紀で、こんなにも不便があるのか!」と衝撃を受けました。それまで義足のことを全然知らなかったのですが、この問題は本当になんとかしなきゃいけない、と心から強い想いが湧き上がりました。そこで、イベントに応募し、配属先を決めるアンケートで、孫さんのプロジェクトを第1志望にしました。
―― 運命的な出会いですね!技術が進んだ一般消費財に比べ、義足は技術が遅れている。モノのせいで生活に困っている人がいると知った衝撃は、小学生の時の衝撃と通ずるものがあったのかもしれませんね。そこで孫さんの案件に割り振られたのですね。
いえ、実は違うチームになりました。(笑)孫さんとは、イベント後の懇親会で名刺交換したぐらいで、孫さんと義足について話し合うことは叶いませんでした。私は、農業系のスタートアップに配属されたのですが、そのチームも面白く、最終的にそのチームでコンテストの優勝を果たしました。そして、農業系ベンチャーの方から「このまま転職しませんか?」という話をいただきました。
どうしようか迷ったんですが、ちょうどそのタイミングで妻が妊娠したのです。そして、当時の職場であったP&Gでもシンガポールへの転勤が決まりました。結局、農業系ベンチャーのオファーをお断りをし、妻とともにシンガポールへ飛び立ちました。
―― 運命というか、タイミングが重なったのですね…。そこから、どうしてBionicMに参画することになったんでしょうか?
実はシンガポールで働いていた時も、義足のことがどこか頭の中で引っかかっていました。そこで孫さんと連絡を取り、一時帰国の際に久しぶりに顔を合わせました。そのときに、孫さんの「”Powering Mobility for All”を絶対に実現し、義足を必要としている多くの困っている人たちを助けたい」という凄まじい熱量を目の当たりにしたんです。
「この人すごい」と心から思い、純粋に孫さんの想いに惹かれました。そして2018年に孫さんから「いよいよ事業化しようと思うんですけど」という連絡を受けた時は、私も「ぜひ!」と二つ返事で参画を決めました。シンガポールから完全帰国した2019年4月にそのままBionicMに転職したんです。
ゼロから作り上げる醍醐味がある
―― 運命的なストーリーに鳥肌が立ちました。そして孫さんと共に会社をゼロから作り上げてきたんですね。
立ち上がりは会社と言えたものじゃなくて、今でも開発以外のほとんどの業務をやっていますが、当時は本当に何でも屋で、電話回線を通すとか、文房具を揃えるといったことからのスタートでした。(笑)
ただ、何もないところから自分たちで作り上げていくというのは楽しかった。目に見えて変わっていくというのはとても面白かったです。そういった意味ではスタートアップに向いていたのかもしれません。義足というプロダクトに対しても、何もないところから製品化していく0→1のフェーズは、大手での既存製品の改良では味わえない面白みがあります。
しかしながら当然、「手を抜いた瞬間に一瞬でコケるな」というヒリヒリ感もあります。もちろん前職でも、工場で不良品が出れば莫大な損失となるので、責任感もプレッシャーもありました。ただ、極端な話をすると大きな会社なので、すぐには潰れません。
一方で、我々のようなベンチャーがミスをすると、その瞬間に潰れます。その上、今は経営者として社員を雇ってる立場なので、社員の給料が払えなくなるかもしれない、生活を保障できないかもしれないという、危機感・プレッシャーも相まって、臨場感が全然違うんです。
―― 作り上げる楽しさと緊張感の共存は、大変だとは思いますが、ベンチャーならではの醍醐味ですね。
ビジネスでの本質的なところでは、大手とあまり変わらないと考えています。ユーザーのニーズを捉えて、それに応えるものを正しい品質で作り、正しい価格で届けるという流れは一緒だと思います。もちろん義足だからこそのアプローチもありますが、本当に考えるべきポイントは本質的には一緒かなと。
あえて大手との違いを言うとすると、社内プロセスの有無は結構大きいですね。例えば、承認プロセスや購買プロセスなど。大手では当然のようにあったプロセスでも、ベンチャーではゼロから作らないといけない。それが会社作りという意味で面白い点ですね。何年後かには会社として当然のように回っていくプロセスを、皆で一緒に作っていく。やりがい満載です。
障害を世界からなくす。それができる技術がある
―― 義足市場はどういう状況なんでしょうか?
ヨーロッパの3社がマーケットの70%近くのシェアを持っている典型的な寡占市場で、技術的にも価格的にも競争が進んでいるとは言い難い状況です。とはいえ、既存のプレイヤーは日夜尽力していますし、優れた技術もあります。
また義足には、義足ならではの難しさがあります。義足は、医療機器と家電の間だと考えています。毎日身に着けるから高い品質、性能が求められる一方で、一般の人々にとっての使いやすさも重要です。当然、要求される水準がすごく高い。
例えば、ユーザーは「当然ながら一日はバッテリー持つ」「スマホみたいに電源をつければ、すぐ使えて当然」といった具合で製品を見ます。そういう意味では、義足を作り上げることはモノづくりの集大成で、いろんな要素の結晶体なんだなと感じています。難しさはありますが、我々の手でパワード義足という新しいカテゴリーを開いていきたいです。
―― 義足はまだ市場の成熟度も低く、潜在的なユーザーも多いのでは考えています。
その通りです。義足は小さいマーケットと思われがちですが、ポテンシャルがある市場です。実は今、足を切断している人が世界的に増えています。医療が発展していない途上国はもちろん、先進国でも糖尿病が原因で足を切断する人が増えています。糖尿病患者は世界で現在約4億5千万人ほどですが、2045年までに7億人にまで増えるとも言われています。
義足の機能的な制約のために、義足を使えず、生活の質が落ちている人もいます。単に義足を使いこなせないという点もありますが、筋力が衰えていたり、他の障害を持ち合わせている場合は、残ってる足への負担が大きく、義足でも歩けないといった理由もあります。既存の義足だと身体への負担が大きいため、車椅子や寝たきりになってしまう人もいるという話も伺います。そういった課題にもBionicMのパワード義足ではアプローチをしていきたいです。
また、ユーザーは足を切断した人に限った話ではないと思っています。Mobilityと聞くと、車をはじめ、ドローンやキックボードなどの新製品、新技術を想像する方が一般的かと思います。しかしながら、その概念には”自分の足で自由に動く”という根源的なMobilityが抜け落ちているんじゃないかと考えています。「すべての人に対して、根源的なMobilityを技術の力で提供したい」というのが、我々の会社としての想いです。
転倒して骨折した方や、半身麻痺になって歩行が難しい方など、様々な理由で歩くことに苦労を感じている方は実は多く存在しています。そういった意味で、筋力の衰えた高齢者の方などは潜在的なユーザーだと考えています。
―― BionicMのミッションである”Powering Mobility for All”という言葉にあるように、障害者だけでなく、全ての人に対してMobilityを提供していきたいという想いがあるんですね。
義足は障害者が使うものというイメージがありますよね?マサチューセッツ工科大学の教授の言葉でもあるんですが、足を切断した人が障害者なのではなく、その人を支えられる義足、つまり、技術がないことが障害を作っていると言えます。
分かりやすい例だと、普段使っているメガネ。昔は目の悪い人を障害者と呼んでいたのですが、今ではメガネを使っている人を障害者としてみる方はいないですよね。そして、使ってる本人も自分が障害者っていう感覚はないはず。場合によっては、メガネをオシャレで使う人もいるくらいです。つまり、視力の悪い人が障害者なのではなく、それをなくす”メガネがあるから”障害として捉えられなくなったということなんです。
義足も同じように、生活の中に完全に溶け込み、ユーザーがその恩恵を受けていることすら感じないという世界が理想だと考えています。足の障害が、障害として捉えられなくなる世界。BionicMのミッションである”Powering Mobility for All”も、そういう環境になることが、ある種のパワーリングできてる状況だと思うので、そこを目指していきたいです。
―― ”Powering Mobility for All”に込められた想い、障害が障害として捉えられないための世界の実現を心待ちにしています。ありがとうございました。
取材後記
マーケティングだけでなく、資金調達から採用、事務まで幅広くこなす関口さん。クールでテキパキと仕事をこなす印象でしたが、その胸中には並々ならぬ熱い想いを秘めていました。「人生をかけてBionicMで挑戦する」と熱い言葉を残した関口さんの目には、理想の未来が確かに浮かんでいるように見えました。