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インタビュー

【小林大河】日本を飛び出して100兆円企業に挑戦する日本人起業家

【小林大河】日本を飛び出して100兆円企業に挑戦する日本人起業家

2021.06.21

日本は、バブル崩壊後の経済停滞に伴い、ローカルでは数々の社会問題に直面し、グローバルでは存在感や競争力が著しく落ち込んだ。そんな閉塞感が漂う日本に問題意識を抱き、未来を変える勇気と覚悟を持って「世界で戦う知られざる日本人たち」がいる。

彼らは、起業家や投資家である。日本人として、日本企業として、日本を代表する気概を持って、世界のプライベートマーケットの第一線で次なるイノベーションに日々挑戦している。彼ら「世界で戦う知られざる日本人たち」のストーリーやアイデアを学び、日本の起業家や投資家が世界で戦うための手掛かりを追う。

世界のイノベーションの震源地、シリコンバレー。スタートアップやテクノロジーに精通している者であれば一度は憧れる聖地である。GoogleやAppleもこの地から生まれた。そんなシリコンバレーに挑む日本人がいる。彼の名は、小林大河

小林は、「Potlatch」を運営する会社の創業者およびCEOである。日本で掴み取った地位や待遇から自らの信念に従って離れ、シリコンバレーという異国の地で100兆円起業を目指してスタートアップを起業した。そんな小林にインタビューを試みた。「Remotehour」の代表の山田俊輔にご紹介いただき、2021年6月にオンラインで実施。

小林大河という男

小林は1992年に東京で生まれた。幼少期の小林は、将来の夢が「小説家」だったというほど、読書が大好きな少年だった。中でも本田宗一郎とトーマス・エジソンとヘレン・ケラーの本が、小林が描く大人像に影響を与え、「いつか自分も、こんな信念の強い大人になりたい」と思うに至った。この思いが後に起業を志す一つの原動力になった。中学からは早稲田に入学し、スポーツに明け暮れた。中学でラグビーを経験した後、高校ではボート競技でインターハイや国体に出場した。早稲田大学に進学した後も、引き続き漕艇部(ボート部)に入部し、年から年中、朝から晩まで寮生活で練習に打ち込んだ。ビジネスや社会のことを知る由もなかったという。スポーツに励む一方で、もともとグローバル志向の強かった小林は、全ての授業が英語で行われる国際教養学部に進み、日々の練習後・消灯後に英語の学習に挑んだ末に、アイルランドのリムリック大学に1年間留学した。

小林は大学を卒業した後、大手総合商社の内定を持ちながらも、社員と仕事に魅了され、「日本M&Aセンター」に入社した。同社にて小林は、年間MVPや社長賞を受賞した後、5年目にして最年少で課長になった。トップクラスの年収と数年分の給与と同等になるストックオプションをもらっていたという。社内では人生を変える恩人に出会い、社外では人生を共にする妻にも出会い、何不自由ない順風満帆な仕事と生活の道を歩んでいた。しかし、小林の気持ちは揺れ動いていた。会社の研修で訪れたシリコンバレー、ニューヨーク、ドイツで、世界のビジネスの事情や空気に触れる中で「1人だったとしても今すぐに行きたい」という気持ちが心の片隅で強くなってたという。そんな中で前述の恩人に聞かれた質問から、小林の人生が一変した。小林は自身のnoteで以下のように語る。

「(前略)そして去年末に、渡部さんから『業界再編部の創業期は終わった。これから成長期に入る。次はどうしたい?』と聞かれ、考え抜いた末に、会社を辞めて、時価総額100兆を超える会社が集うシリコンバレーで、無職から世界に挑戦し直すことを決めました。全て教えてもらった人生最大の恩人に対し、恩を返せず去るというのは、どれだけ恩知らずなことなのか、想像に難しくないと思います。決めた日の夜は、まだ辞めなくていいのではないかという葛藤、歩んできたものを捨て去る不安、人生の恩人の期待を裏切る罪悪感が入り乱れながら、5年間の記憶がフラッシュバックで現れ、人生で唯一、嗚咽がとまりませんでした。2019年12月20日(決断の翌日)、渡部さんに決断を伝えました」

2020年3月、小林は会社を後にした。英語力も経験値も乏しい自身の現状を現実的に捉えていた小林は、約2年ほどの年月を掛けてプログラミングスクールと英会話学校に通い、万全な状態でシリコンバレーの会社に就職する計画を立てた。そのファーストステップとして、起業家・エンジニアを養成する日本のプログラミングスクール「G's ACADEMY」に通い、実際に自らサービスを開発・展開していた。同校に通う中で、知人の紹介で出会ったシリコンバレーの起業家の中屋敷量貴がソーシャルメディア上でシェアしたある男のある投稿に、小林は目と心を奪われた。その男こそ、内藤聡だ。内藤は「Anyplace」を運営する会社の共同創業者およびCEOとして、数年に渡ってシリコンバレーの第一線で世界に挑み続けている言わずと知れた日本人起業家だ。


内藤聡の記事を見る

内藤は、事業に打ち込む傍ら、自身の経験を活かして、ネットワークやノウハウを蓄積・共有する日本人起業家コミュニティを現地で育んでいた。その内藤が2020年7月、「フェローシップ」という名の下、現地で本気で共に世界に挑戦する起業家仲間を募集するという情報をソーシャルメディアで投稿していたのだ。選ばれれば、内藤から直に起業や資金調達のサポートを受けられるという。内藤は以下のように投稿していた。

「サンフランシスコで起業して、ジェイソン・カラカニスなどから投資を受けたい、29歳以下の人っていますか?私がKiyoさんからお世話になったことを若い人に返したいのと、彼らからも多くのことを学びたいのですが、中々若い人に会う機会が少ないので、募集しようかなと考えています。私もまだ道半ばですが、共に高め合って米国で大きな事業を作っていけるような若者と出会いたいです。(後略)」

小林は「これだ!」と思い立って直ぐに内藤に連絡を取り、その4日後にはシリコンバレーにいた。もちろん、この時期は日本もアメリカもコロナ禍の真っ只中だ。4日間という限られた時間の中で小林は寝る間を惜しんで準備に励み、現地での内藤との面接に挑んだ。その圧倒的な行動力と熱量が功を奏してか、小林は見事フェローシップに選ばれた。小林の世界への挑戦が始まった瞬間だった。

世界への挑戦

現地で小林は、内藤を始めとするフェローシップの面々から週に一回のメンタリングを受けながら、渡米前にリストアップした120個のアイデアをもとに事業を模索していた。フェローシップのすすめで、最先端の情報や動向を把握する意味合いで、現地の一流のVCが出資したスタートアップの情報を日本人向けに発信するメールマガジン「週刊トップティアVC」の執筆・配信を始めた。現在(2021年6月)も毎週欠かさず続けている。小林は、4時半に起きて0時に寝る生活を送って事業を模索していたが、「一生をかけてやりたい」と思える事業に出会えずになかなか踏み出せない日々が続いた。

同時に、シリコンバレーが誇る最大の価値の一つである「人のネットワーク」との接点が乏しい状況に小林は焦りを感じていた。コロナの影響であらゆる物事がリモートになっていたためだ。投資家や開発者の人脈を広げることはもちろんのこと、アメリカの市場や文化を理解するためにも、当時の小林にはネットワーキングの機会が欠かせなかった。小林は、ネットワーキングにおける現状の環境に問題意識を抱くと同時に、オンラインのネットワーキングサービスにビジネスチャンスを見出した。以上の背景のもと、2020年10月に「Potlatch」が誕生した。

Potlatchは、プロフェッショナルのためのビジネスマッチングプラットフォームだ。現在はシリコンバレーのスタートアップのファウンダーとPdMを中心に、1-1のマッチングの機会を提供している。小林は「Y Combinator」の元パートナーであるダニエル・グロス氏が設立したアクセラレーターの「Pioneer」に採択された後、2020年12月に、日本のVCから500kドル(約5000万円)の資金調達を実施している。2021年内にユーザー数3000人を達成し、2022年上半期にはアメリカの投資家からの資金調達を目指している。「Work from home, network from home」を標語に、パンデミック以前と関わらない、あるいはそれ以上の質と量のネットワーキングの機会を世界に届けようとしている。

渡米して1年も満たない中で、事業を立ち上げ、アクセラレーターを卒業し、資金調達を実施することはなかなかの異例だ。シリコンバレーで挑戦・活躍する日本人の起業家が増え始めている要因として、やはり内藤が育む前述の日本人起業家コミュニティの存在は大きいかもしれない。ほんの数年前までは現地で起業する日本人は著しく乏しかったために情報や知見が蓄積・共有されなかったが、現在では、内藤らによって体系化されたそれらが「サンフランシスコでスタートアップする方法」として日本に対して発信されるまでに至っている。実際に小林も「法人、会計、弁護士等については、日本人の先輩方に教えていただくことで、そこまで大きな苦労はしていないです」と言う。


(画像:現地の日本人起業家コミュニティ)

その上で、小林は、意外にも、「日本人は、下手したらアメリカ人であることよりもアドバンテージがあるかもしれません」と言った上で次のように語った。

「アメリカ人を含めて世界中のみんなが、男女問わず、日本人のことが好きです。日本人だと言って好きだと言われなかったことはほとんどないくらい。『日本から来た』、特に『東京から来た』と言うと本当に喜ばれるんです。日本は、ビジネスの文脈では車以外語られないのですが、ゲーム・アニメのコンテンツや、京都などの観光、日本食の文脈でよく語られます。アニメでは特に『鬼滅の刃』や『スラムダンク』が人気です。ビジネスをする上でも、ネットワーキングは人に好かれることが肝になるので、どの国よりも日本が出身で良かったと思います」

日本人の起業家には追い風が吹いていることは明らかだ。しかし、追い風とは言うものの、アメリカという異国の地において、日本人の起業家は生活・事業ともにあらゆるディスアドバンテージを抱える事実は変わらない。現地の人脈や知識が乏しい中、英語やビザはもちろんのこと、家賃や食事まで、あらゆる苦労や苦悩に直面する。小林には日本で暮らす妻もいる。また、現地での日本人の成功事例が全くのゼロであるがゆえに、「挑戦の方法」は体系化され始めていても「成功の方法」に関する知は乏しい。日本での順風満帆な仕事と生活を捨てて、コロナ禍の中で、友人もいない言葉も通じない異国の地に単身で飛び込み、苦労と苦悩を重ねて、小林は何を目指しているのであろうか。

日本人として100兆円の企業に挑戦

小林は「日本人として100兆円の会社に挑戦し、日本人がもう一度発展できるように貢献する」と言う。小林は自身のnoteで、シリコンバレーで起業した理由を以下のように語っていた。

「(前略)日本人として向き合わなければいけない現実があります。世界の時価総額TOP30には、日本が1社も入っていません。しかも、日本でトップのトヨタは創立83年、2位のソフトバンクは創立39年です。一方で、世界のTOP30にはGoogle以降(1998年)に設立された企業が7社あります。もちろん人類の発展に貢献したいという気持ちもあります。ただ、それと同じくらいに日本人として、この状況を変えたい。僕らの世代がこの現実に向き合い、100兆円企業を作るべく挑戦しなければいけない」

「(前略)新卒から5年間を過ごしたM&Aセンターは、平均勤続年数3年の外資金融のような環境で、毎月実績を残せない人が辞めていました。しかし、新陳代謝が活発なため、誰もがオーナーシップを持って仕事に取り組んでいました。明日沖縄にいようが仕事してなかろうが誰も知りません。結果が重要でした。そのため、会社員でありながら経営者のようなマインドで仕事をする環境が求められていました。また、成功したオーナー経営者の方達と出会い、この方達のような生き方がしたいと思いました。サラリーマン社長は、僕よりできる人も、なりたい人もいくらでもいるだろう。他の誰かで良いことではなく、自分しかできないことをやっていきたい。今ある椅子を埋めるのではなく、作り出す側になりたいと思いました。そうして、(自分が)世界に届けるサービスをフルコミットでゼロから作りたいのだ、と気がつきました」

日本を飛び出して100兆円企業に挑戦する日本人起業家、小林大河。順風満帆な仕事と生活を犠牲にしてまで、日本という祖国のためにも、熱意と誠意を持って世界に挑んでいる。小林は「信念の強い大人」だ。


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