20世紀、2度にわたる世界大戦と東西冷戦を終え、日本をはじめとする世界中の国々が経済の発展を追求した。21世紀を迎え、約20年が経った2021年現在、戦争はなくなったものの、世の中には依然として大小様々な課題が無限と溢れ返っている。そんな現代、世の中のあらゆる課題に対して問題意識を抱き、「より良い未来」のために勇気と覚悟を持って挑戦する者たちがいる。「スタートアップ」だ。
そんなスタートアップが持つ価値に目をつけ、その可能性を信じ続ける1人の男がいる。彼の名は、本田圭佑。本田は、言わずもがな、日本代表やACミランの10番として、世界の第一線で活躍するプロフェッショナルのサッカー選手だ。
2016年、本田は、ACミランの10番として世界中から熱い視線を集めていた中で、自らの資産をスタートアップに投資するファンド「KSK Angel Fund」を設立した。2年後の2018年には、俳優として世界で活躍する大スターのウィル・スミスと、新たに共同でファンド「Dreamers Fund」を設立した。両者合わせて現在(2021年11月)までに計180社以上に投資し、自らも起業家として経営する本田は、2021年、スタートアップの起業家・投資家の経験の集大成として、大きく打って出た。世界中のスタートアップの起業家・投資家のためのグローバルプラットフォーム「PROTOCOL」を立ち上げたのだ。
サッカー選手にとどまらず、投資家としても世界を股にかけて活動する本田に、一時帰国のタイミングを見計らって私達は取材を試みた。2021年7月、東京の中心地にそびえ立つ一流ホテルの一室で、緊張感が漂う中でインタビューが始まった。本記事では、インタビューで本田が語ったリアルな話をもとに、「投資家としての本田圭佑」にフォーカスを当て、投資家・本田が歩んできた過去を見つめ直した上で、同氏が「PROTOCOL」を通して描く未来を探っていきたい。
全ての始まり
2008年1月16日、本田圭佑は「Keisuke Honda」になった。名古屋グランパスエイトを退団し、オランダのVVVフェンロに入団したのだ。日本から世界に飛び立ったこの日こそ、後の本田の人生にとっての全ての始まりになった。入団後、本田は、アフリカや南アメリカ出身のチームメイトが給料の半分以上を母国の家族や友人に仕送りしていることを知り、世界の貧困や格差のリアルな現状に初めて直面した。日本という孤島で生まれ育ち、サッカーにしか興味のなかった当時の21歳の本田にとって、この上ない衝撃だった。
2年後の2010年、南アフリカで開催されていた「2010 FIFAワールドカップ」に日本代表として出場した本田は、同じく日本代表のチームメンバーとともに現地の孤児院を訪れた。犯罪や病気に苦しむ子供たちの姿を目の当たりにした本田は、世の中の環境の違いを痛感し、「誰もが夢を追い続けられる世界をつくりたい」と考えるようになった。2年後の2012年、本田はついに動いた。サッカー教室の「SOLTILO FAMILIA SOCCER SCHOOL」を立ち上げたのだ。本田は「世界中の子ども達に夢を持つ大切さを伝えたい」という想いのもと、日本をはじめ世界中に教室を設立し、現地の子供の育成に奮闘した。しかし、世界中に約60校ほどまで事業を広げたものの、「サッカークラブでは、教育格差をなくすことが難しい」という現実的な問題に直面した。
そんな中、本田は1人の日本人と出会う。中西武士だ。中西は、アメリカの金融業界の最戦前で活躍していた投資のプロフェッショナルだ。2014年の「2014 FIFAワールドカップ」の後、ロサンゼルスを訪れていた本田は、自身の兄の紹介で中西と初対面を果たした。本田と中西は、年齢が近かったこともあって意気投合し、パートナーとして組むことになった。中西は、PROTOCOLのインタビューで本田と組んだ理由を以下のように語る。
「当時はスポーツ選手と仕事の機会があるとは思っていなかったのですが、圭佑に会って話して、彼のキャラクターとかセンスとか、何よりも大きいビジョンに惹かれました。圭佑と一緒にやったら、自分がやれること以上に大きいことができる。そう思いました。もう一つは、それまで日本人と一緒に仕事をしたことがほとんどなかったこともあって、日本人・アジア人として一緒に世界を変えられることにも魅力を感じました」
投資家・本田圭佑に
2人は、本田がサッカー選手として培ってきた影響力や経済力を通して同氏の「世の中から格差をなくす」というビジョンを実現するための議論を重ねた結果、「エンジェル投資」に最適解を見出した。エンジェル投資とは、創業間もない、場合によっては創業前のスタートアップの「夢」を応援する、「現代版パトロン」のような投資活動だ。
2016年8月1日、本田がイタリアの名門クラブのACミランに背番号10番を背負って所属し、世界中から熱い視線を集めていた中で、本田の次男が産声を上げた。このめでたい日、本田は「次男らが生きる次世代の世の中を良くしたい」という想いのもと、もう1つの誕生を祝った。「KSK Angel Fund」だ。KSK Angel Fund(以下、KSK)は、本田の名前の「圭佑」を「KSK」として冠にした、自身の資産をスタートアップに投資する個人投資ファンドだ。本田の「投資家」としての人生が正式に始まった瞬間だった。当日、本田は自身のInstagramのアカウントで以下のようにコメントした
「先日、ファーストペンギン賞を受賞させて頂いた際に賞金として5000万円頂きました。これからそのお金をエンジェル投資家としてスタートアップやベンチャー企業に全額投資していきます。ファーストペンギンというのは、海にいる様々な肉食獣に恐れながらも、勇気を持って1番に海に飛び込むペンギンのとこを言うそうです。僕自身がファーストペンギンかどうかは置いておいて、こんな光栄な賞で頂いた5000万円を何に使うか考えました。1つの答えとして、ファーストペンギンに成る可能性のある賢くて勇敢なスタートアップやベンチャー企業の起業家達に投資をしようと勝手ながら決めさせて頂きました。先ずは10社くらいに投資していこうと考えてます。今回の賞金に限らず今後もKSK Angel Fundを通して次世代に少しでもより平和で明るい未来を残せるようにエンジェル投資家として可能な限り投資し続けていこうと考えています。行動あるのみ」
KSKは、経験も人脈も乏しい中、ゼロから手探りの状態で始まったが、現在(2021年11月)までに90社以上の国内外のスタートアップに投資をし、初期から投資をしていた「Makuake」が上場するなど、着実に結果が現れ始めている。しかし、もとより世界基準のビジョンを持つ本田は、日本にとどまらず、世界のイノベーションの震源地ことシリコンバレーでの投資機会を探っていた。世界各地のスタートアップエコシステムは、現地のインナーサークルが形成されており、生まれたてのスタートアップに外部の人間が投資する機会は限りなくゼロに等しい。ましてやシリコンバレーとなると、日本を代表するサッカー選手といえども、その力は全く及ばない。
世界的俳優と共同でファンドを設立
KSKの設立から約2年の歳月が経った2018年7月、本田に関する1つのニュースが業界の内外を賑わせた。俳優として世界で活躍する大スターのウィル・スミスと本田が新たに共同でファンド「Dreamers Fund」を設立したのだ。Dreamers Fund(以下、Dreamers)は、野村、電通、資生堂などの日本の企業や投資家から資金を集め、シリコンバレーのスタートアップに投資するベンチャーキャピタル(以下、VC)だ。世界の第一線に集うスタートアップの情報・人脈・案件へのアクセスを日本企業に提供する橋渡しとしての役割が、当ファンドの主な目的と価値である。
本田は、シリコンバレーでの投資機会を探る中で、矢田公作という日系3世のアメリカ人に巡り合った。矢田は、スミスのファミリーオフィス「SMITH FAMILY CIRCLE」のCEOとして、同氏の資産をシリコンバレーのスタートアップに投資していたのだ。本田はついにシリコンバレーのインナーサークルの内部に辿り着いた。中西と矢田が「日本」という共通項で知り合いだったことで話が始まり、2017年6月にロサンゼルスのとあるレストランで、本田、中西、矢田、スミスの4人での初対面の会合がセッティングされた。互いのビジョンに共感した本田とスミスは、翌年の2018年に共同でDreamersを設立するに至った。
立ち上げの背景について、Dreamersの公式サイトでは以下のように書かれている。
「現在、世界を代表する有力ベンチャー企業は、シリコンバレー等国外に集中している。過去、本邦企業が海外進出を行い、コーポレートベンチャーキャピタルの設立や直接投資を行ってきたが、会社設立から間もないアーリーステージで有力ベンチャー企業に投資した実績は、残念ながらほとんど見られない。これは、これら有力ベンチャー企業に関する情報が、所謂業界のインサイダーにのみに共有されることに起因していると考えている。また情報を得られたとして良いベンチャーは投資家を選ぶ事ができ、日本企業が選ばれる事は少ない。本田は、2016年に自身で設立したKSK Angel Fundでの投資経験を通じてこれを痛感し、本田と似たImprove Livesを企業理念を掲げ、有力ベンチャーへのインサイダーネットワークを持つWill Smithと出会い、Dreamers Fundの共同設立を提案した」
シリコンバレーでは近年、VCの乱立に伴って「お金のコモディティ化」が進み、起業家が立場を強めて投資家を選ぶ側に回る傾向がある。そんな中で、Dreamersは、本田とスミスが持つ世界的な「影響力」はもとより、アジア人と黒人のバッググラウンドが「多様性」の文脈で評価されている。また、アメリカでは、スポーツ選手や音楽家などの著名人によるスタートアップ投資、いわゆる「セレブリティ投資」が盛り上がっているが、彼らと一線を画すDreamersのプロフェッショナルな投資体制がシリコンバレーの中でも一定のポジションを確立した。本田自身も「僕の活動もウィルの活動もただのセレブリティ投資ではないことが業界で認知され始めている」と言う。
アメリカでの投資を経験して
Dreamersは、設立から約3年経った現在(2021年11月)、本田自身は「まだまだやれる。フォローオンに課題があるので、もっとユニークな存在にならないといけない」と評価するものの、約70社に投資する中で、1社がIPO、3社がM&Aを終え、8社がユニコーンにまで成長した。順調に結果を残すDreamersは、2号ファンドの組成も進んでいる。本田は、Dreamersの経験を通して日本とアメリカの1つの大きな違いを学んだ。本田は以下のように語る。
「Dreamersを経験して、凄まじいと思ったのは、アメリカのトップVCの存在です。日本では、良い会社は良い会社として生きていく、悪い会社は悪い会社として潰れていくイメージがあったのですが、アメリカのトップVCはチームを持って投資先を勝たせに行くんです」
言わずと知れた世界最強のVCの「Andreessen Horowitz(a16z)」は、自社で各分野の専門家を抱え、チームで投資先をサポートする。a16zは、シリコンバレーでVCが乱立する中で、ハリウッドで絶大な影響力を持つタレント・エージェンシーの「CAA」の仕組みを徹底的に研究し、「専門家のチームで投資先をサポートする」という独自のポジションを築いた。Dreamersは、a16zのようなトップのVCの投資先に共同で投資するスキームを用いていたため、本田はその最先端の投資の仕組みを間近で目の当たりにしていたのだ。
一方の日本においては、シリコンバレーほど「お金のコモディティ化」が進んでおらず、VCとしては独自の価値を提供する必要性が高くなかったため、この仕組みはまだまだ広がっていなかった。2020年、本田は、日本のスタートアップの投資・支援により一層の力を入れるため、アメリカで学んだこの仕組みをもって、専門家を率いてスタートアップを支援するVCのチーム「WEIN」の立ち上げに参画したが、その進め方において意見が食い違った本田はWEINとは別々の道を歩むことになった。
振り出しに戻った本田だったが、スタートアップ支援に対する彼の情熱はとどまるところを知らなかった。2021年、本田は大きく打って出た。KSK、Dreamers、WEIN、そして自ら起業した「NowDo」を経て、スタートアップの経験の集大成として、新サービスを立ち上げたのだ。日本をはじめとする世界中のスタートアップの起業家・投資家のためのグローバルプラットフォーム「PROTOCOL」だ。
新たな挑戦
本田は、パートナーの中西と共に次なる挑戦を構想する中で、起業家の武内洸太率いる「11人のチーム」と志が一致し、彼らと共同でPROTOCOLを創業するに至った。監督が選手を見つけた瞬間とも言えよう。本田らは、約半年の歳月をかけてプロダクトを開発し、2021年7月、本田の名を控えた上で「PROTOCOL」のα版を実験的に公開した。
本田は立ち上げの背景について以下のように語る。
「時間も労力も限られている中で、僕なりにをもっとスタートアップをサポートをしていくために、投資するだけじゃなくて、サポートする仕組みを作りたいなとずっと思っていたんです。アメリカではその仕組みをVCのチームでやっていたので、日本で新しくVCのチームを作ってその仕組みを試みたのですが、思うように行きませんでした。色々と考えさせられることが多かったのですが、やっぱりスタートアップへの情熱があったし、諦めきれなかったんです。失敗から沢山学ばせてもらったので、スタートアップの成功をサポートするために、チームではなく、システム(ツール)を作ることにしました。それが『PROTOCOL』です」
起業家と投資家は、「スタートアップ」という舟を作り、目的地を目指して操縦していく中で、ありとあらゆる課題に直面する。起業家は、資金調達や人材採用などに労力を取られ、事業に集中できない。投資家は、案件発掘や投資管理に不便を感じている。本田は両者の当事者として身をもってその課題を経験しているのだ。PROTOCOLは、テクノロジーを駆使して起業家と投資家のありとあらゆる負担を軽減すると同時に、エコシステム全体を広げることで、スタートアップのそもそもの数と成功する数の拡大を目指す。
PROTOCOLは、α版の公開から約4ヶ月が経った現在(2021年11月)、著名なスタートアップの起業家・投資家を含め、世界中から1000名を超える利用者が集まり、利用者の国数が50ヵ国を突破するに至っている。本田自身もプロダクト内で出会った複数の起業家と面談し、既に6社に投資した。α版を通してその価値を確信した本田は、2021年11月、「会長」として、PROTOCOLを正式に世間に発表し、本格的に始動させた。本田は以下のように語る。
「こんにちは。本田圭佑です。今日はサッカーではなく、起業家として、エンジェル投資家として再挑戦の発表をさせて頂きます。 改めまして、僕は2016年にKsk Angel Fundでエンジェル投資をスタートし、その2年後の2018にはDreamers Fundを立ち上げ、これまでに計180社以上のスタートアップに投資しています。僕自身も起業家として社会問題解決に挑戦する会社『NowDo』を経営しています。 『PROTOCOL』。これが今回立ち上げた新サービスになります。簡単に説明すると世界中の起業家と投資家を繋ぐグローバルプラットフォームです。誰もが起業家として、投資家としてスタートアップのエコシステムに参加できるようにして、PROTOCOLから1つでも多くのイノベーションが生まれるようにサービスを作っていきます」
PROTOCOLの今後の展望について、代表取締役CEOの武内は以下のように話す。
「僕達は『プライベートマーケットのデジタルインフラを整備し、日本と世界をイノベーションで彩る』というミッションを掲げています。ミッションを実現するためのファーストステップとしてまず、世界中の起業家・投資家と繋がることができるマッチングの機能を備えたα版を7月に公開しました。今後のステップとして、資金調達、投資、融資、採用、求職、広報などの新しいデジタルツールをプラットフォーム上で続々とご用意し、スタートアップに関わる世界中の全ての人のためのグローバルプラットフォームを目指していきます」
日本から世界へ
本田らは、PROTOCOLを通して、日本のスタートアップの起業家・投資家を世界に紹介し、日本のスタートアップエコシステム全体のグローバルプレゼンスを高めたいと切に願っている。本田と中西は、Dreamersを通して世界の最先端のスタートアップに投資する今でもなお、日本のスタートアップを支援する姿勢を崩さない。本田は「日本」について以下のように語る。
「自分のアイデンティティが日本にあるので、日本人として日本が好きなんです。その上で、日本はスタートアップの市場全体を伸ばしていかなきゃいけないという課題があるので、閉ざされたコミュニティの中だけで良い案件が動いている状態を、もっと一般の人にも、世界の人にも、扉が開かれた状態にして解消していけたら良いなと思っています」
日本に眠る才能や技術は、世界に通用するポテンシャルを持ち合わせている。実際に近年、世界の投資家は日本の市場の魅力に気付き始めており、彼らによる日本のスタートアップの投資や買収がニュースを賑わすようになってきている。2021年9月には、アメリカを代表する企業の「PayPal」が、日本の「Paidy」を3000億円で買収し、業界に激震が走った。本田がサッカー選手として育んだ世界的なインフルエンスやネットワークをもってして、日本と世界のスタートアップエコシステムの間に橋を架けることで、日本発イノベーションが世界に溢れる日も近いかもしれない。
世界中のスタートアップに投資し続ける投資家、本田圭佑。サッカー日本代表として、歴代同率4位にあたる「37」のゴールを決めた本田は、投資家としても「37」のゴールを目指すという。それはつまり「IPO(上場)」を指す。冗談交じりの発言ではあったが、本田のスタートアップへの本物の情熱を考えると、本当に実現する日が来るのかもしれない。
本田は、単にスタートアップに投資しているのではない。スタートアップがもたらす「日本と世界のより良い未来」に投資し続けているのだ。本田の未来への新たな挑戦が始まった。