Published 31 Jan 2024

私がロボット義足を作るまで~BionicM CEO 孫小軍 part2~

私がロボット義足を作るまで~BionicM CEO 孫小軍 part2~

私は、新卒で入社したソニーを退社後、東大情報理工学系研究科を経て、2018年12月に弊社BionicMを創業しました。

なぜBionicMを起業するに至ったか。

シリーズに分けてBionicM創業までに至ったヒストリーをご紹介します。

※本コラムは全3回のうちの第2回となります。


目次

  1. 社会人になって感じた義足生活の不便さ
  2. 大学院生に戻り、義足の研究へ
  3. スタートポイントになったSXSWへの出展


1.社会人になって感じた義足生活の不便さ

大学院を卒業後、私はソニー株式会社に入社し、エンジニアとして働き始めました。ソニーではスピーカーを設計する部署に配属されました。スピーカーの図面を書いたり、設計したりというように、製品づくりをしていました。

義足を使い始めた当初は、松葉杖に比べて格段に両手が自由に使え、生活の自由度も増したと感じていました。

しかしながら、社会人になり、その状況が変わっていきました。

というのも、キャンパス内で多くの時間を過ごしていた学生時代と異なり、都内のオフィスと家を往復する生活では、階段を登ったり、また海外へ出張して慣れない環境で歩いたりすることも増えたのです。

そして、なによりも人混みを移動する機会が格段に増えたのでした。

例えば、電車など降りた後の人混みはゆっくり歩くのには意外に歩きづらい環境でした。ゆっくり歩く場合は義足の膝が曲がりにくく、意識して膝を曲げないと足を床に擦って躓いてしまうので、とても疲れやすかったです。

また、階段を下る時にどうしても一段ずつしか下れず、速度が遅くなるので、後ろの人に待ってもらう際など、ストレスを感じました。

移動の時間が増えると、疲れや油断も生じて、膝がガクンと折れてしまうリスクが増えます。ですので、何度も膝折れにより転倒していました。

もともと15年間、両手が拘束される松葉杖で生活していました。両手が自由に使えれば生活が自由に送れると思っていたのですが、今度は既存の義足の課題点を感じるようになったのでした。

普段仕事でものづくりをしていましたが、ふと、「自分の脚を作れないか?」という思いが生まれました。そこでまずは「ソニーの中で義足を作ることができないか?」と環境を探し始めました。

まずは、義足を作るためのロボット技術を身につけるために、社内異動制度を活用して、ロボットの開発部署に異動しようと考えました。一年余りチャレンジしたものの、結果として、募集に通ることが叶いませんでした。

それでは「社内起業プログラムで作ることはできないか?」と考え、社内企業プログラムへ応募しようと思いましたが、やはり、ロボットのバックグラウンドがないため、自分でできるか不安に思いました。もし、社内起業プログラムに採択されても、義足事業はソニーのコア事業であるエンターテイメントから離れています。「もしかしたら、いつかリストラで義足の事業が切られるのかもしれない」そんな不安も残りました。



※SONY時代の写真

実は、「いつか起業して何かを作りたい」という想いは、学生の頃からありました。ただ、ぼんやりと思い描いていただけで、「何を作り、誰に売るのか?」具体的なビジネスイメージは全くありませんでした。

大学生時代には、技術者として義足を作るための技術を大学で勉強してから、今後義足のメーカーで就職しようと思っていた時期もありました。当時、義足メーカーのインターンに応募したのですが、面接で落とされてしまったのでした。大学院に入り直して、義足の技術を勉強しても、義足メーカーに受け入れてもらえないならば、一生義足の仕事をすることはできないと気づきました。

しかし状況が変わり、「自分の作りたい義足を開発して売りたい」と思うようになりました。

自分は義足ユーザーでもあり、エンジニアでもある。そして今、義足に対して様々な不便を感じている。ならば「自分で解決すべきではないか?」と考えるようになりました。

義足を作るだけに留まらず、義足を作る会社を作らなければと決意した瞬間でした。

自分の作りたい義足を開発して売るために考えた末の、最終的な思いの着地点は「自分の脚を作れるだけの技術をしっかり身につけたい」でした。
そこで、一度大学院に戻ることを決意し、会社を辞めることにしました。

上司や周囲の方々は「もっと会社に勤めた方がいいよ」と言ってくださいました。ただ、自分自身、心からやりたいという思いを止めることはできませんでした。

私は、自分のしたいことができる道を選びました。
そして、2015年の冬にヒューマノイドロボットを研究する東京大学大学院情報理工学系研究科博士課程に入り直しました。



※大学入学後のアメリカでのインターン時の写真

2. 大学院生に戻り、義足の研究へ

会社を辞め、情報システム工学研究室という、ロボティクスの研究室に入ったものの、なにもかもが手探りからのスタートでした。そもそも既存の義足の構造をよく理解していなかったので、どのように新しい義足を作るのかまったくわかっていませんでした。

そして当時、研究室には義足の研究をしている前例がありませんでした。その上、研究を行う環境や教えてくれる人もいませんでした。最初はひたすら海外の大学の論文を読んでいましたが、義足の開発の進捗はあまり無かったので、少し不安に感じました。

大学の一般的な研究は学術的に新しいことがあれば、それを追求していくもの。ですが、私は、最初から実用化して販売できるものを作りたいと考えていました。なにより、自分自身が義足ユーザーなので、義足利用者の解決して欲しい課題、例えば、膝折れしやすい、疲れやすい、交互階段昇降できないなど、ある程度理解していました。しかし、より多くの義足のニーズを吸い上げるために、鉄道弘済会義肢装具サポートセンターにご協力頂いて、88名の義足ユーザーの方々にアンケートしました。その結果として、多くのユーザーは階段昇降、膝折れ、疲れやすさに加えて、歩くスピードの調整や、歩く姿勢のきれいさなどについて様々な課題を抱えていることが分かりました。

そこでまず、それらの課題を解決するにはどんな技術が使えるのか、海外の研究や先行研究などを調査するところから始めました。そして、約半年ほど経ち、ようやくプロトタイプのアイデア第一弾ができました。

早速、設計をして、3Dプリンターを活用して出力し、自分が想定したメカニズムで動くのか確認しました。なんとか形になりそうだとわかったので、今度は実際に機械加工メーカーに部品を作成いただき、自分たちで組み立ててテストをしました。

正直、プロトタイプアイデアを考えている時は、どう動くのだろうか、上手くいくだろうかと手応えがわからず、とても不安でした。なので、初めてのテストでプロダクトが動いた瞬間は素直に嬉しかったです。「これはいける。ブラッシュアップをすれば良い製品ができるぞ」と感じました。




初期のプロダクトデザイン

3. スタートポイントになったSXSWへの出展

私自身がユーザであること、ソニーでビジネスの考え方を学んだこと、そして、大学院での最先端のロボティクス技術に関する学び、これらを持ち合わせたら、自分が作りたいロボット義足にたどり着くのではないかと考えるようになりました。

そんなタイミングで、Todai To Texas(以下TTT)というプログラムに応募しました。


※Todai to Texasとは?
Todai To Texas (TTT)は、東京大学発のスタートアップやプロジェクトチームを、米国テキサス州オースティンで開催される「サウス・バイ・サウスウェスト(SXSW)」へ派遣し、トレードショーに出展させることで、グローバルに挑戦することを支援する、東京大学産学協創推進本部が主催するプロジェクト。


※SXSWとは?
SXSW (サウス・バイ・サウスウェスト) とは、毎年3月に米国テキサス州オースティン市で開催されるテクノロジーの世界的カンファレンス。イノベーターやアーリーアダプターが集まり、スタートアップの登竜門ともなっています。


大学院へ戻る直前に、のちの研究室の後輩が、SXSWへ出展して活躍していることを聞いてTTTを知り、「自分たちで作ったものを世の中に出すには、SXSWのような世界的なステージでリリースしたい」と考えていたので、まさにうってつけでした。

TTTに応募した当時は、まだ会社はなく、私とTTTに応募する直前に紹介してもらった佐藤の2人チームでした。彼は、別の研究室で義足関連のデザインをしており、SXSWに参加するまでに他のメンバーも加わり、最終的には5名体制となりました。

そして、このTTT・SXSWでの出来事が文字通り私、そして義足開発の運命を変え、BionicMの最初の一歩となったのです。

次の章では、SXSW、その後の会社創業時に関してお話させていただきます。

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